私たちの人生のなかを、さまざまな出来事が通り過ぎていきます。
なかでも、人生を左右するような体験は、必ず
内的な変容につながる贈り物を持っているのですね。
限られたスペースですが、テーマをしぼって書いてみようと思います。
術後、この手術にショックを受けたのか、私の思考はまったく働きませんでした。
身体はなにも考えず、ただ食べ、ただ眠り続けました。
それは、世界が静止したような不思議な時間でした。
なるようにしかならない、と思ったのでしょうか…?
起き上がれるようになったとき、なんと、私のなかに二つの自分がいました!
頭には、おなじみの「挑戦すること大好きな私」、
身体には「怖がりで心配性の私」(
といったらいいか? )。
ひとつ例をあげると〝久しぶりに歌のレッスン!〟と喜んでいるのに、
身体は唄うことを怖がって緊張している…
意識と身体が逆の反応をすることがしばしばありました。
いったい何が起こったのだろう!戸惑いました。
いままでの身体と違うのです。
力が抜けた痛みのない身体、自分のエネルギー量が
コップで計るように分かったり、正直に反応する感情…。
この二つの自分を行ったり、来たりするうちに、
いくつかの鮮明なイメージが…私をとらえました。
そのイメージは、子供時代の情景でした。
「
終戦をむかえ、朝鮮から引き揚げる日の朝のこと、外は雨…。
重いリュックを背負い、泣きながら歩いている10歳の私…
〝泣いてたら、日本に帰れないでしょ
! しっかりしなさい !
〟と必死な母の声…」
「やぁ~引揚者!引揚者!と円陣になって、私たち弟妹に紙つぶてを投げる子どもたち…。
我慢できず泣き出した弟に〝私たちは悪くないのに、なぜ泣くの!〟と叫びながら…
その頬を激しく叩いている私。」などの場面でした。
戦後、まだ帰還しない父の故郷、半農半漁の小さな村で、納屋で暮らした子ども時代が、
匂いや空気…胸の痛みとともによみがえってきました。
そう、私が以前「チャイルドワーク」をしたとき、そのときの子どもに会っています。
「
灰色の世界で、誰もいない。家々の間を道が真っすぐ伸びている。
〝
私は負けない!後悔しないように生きるんだ!〟」と子どもの私は言っていました。
空高く飛翔する…その子の姿が、見えるようでした。
思春期から大人へ…その子がどう生きたか、私は知っている。
〝ほんとうに よくやったね !
〟
胸が熱くなります。
〝もう頑張らなくていいよ。でも最後まで跳び続けるのも、いいけどね。〟
私は思いがけず、より深い「チャイルド」との出会いを果たしたのでした。
ここで、ひとまず終わりにします。読んで下さった皆さん、ありがとう !
無意識のバリアが少しはがれた(?)私の身体は、仕事復帰とともに変化しています。
脳や身体の仕組みは、ほんとに不思議ですね。
ではまた…。
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